はじめに
こんにちは!10学年差姉弟がモンテッソーリ園生活を経験しているママライター・さっしーmamaです。
チエコトバ公式Instagramの「縫いさし」リール動画に大きな反響があったと伺いました。一針一針に集中して真剣に縫っていく様子や完成した時の達成感が伝わってきて、思わず何度も見入ってしまうおすすめの動画です。
動画にもありましたが、子どもが本物の針を使ってモンテッソーリの「縫いさし」のお仕事をすることに驚いた方は多いのではないでしょうか。本物の針や陶器など大人が使う「本物」を使ってお仕事をすることは、モンテッソーリ教育で重視されているポイントのひとつです。わが家もモンテッソーリ園で「本物に触れる教育」を受けたことがきっかけで本物を使うことについて意識するようになり、わが子の成長過程で本物だからこそ経験できたことや感じたことがたくさんありました。今回は、それらの経験を踏まえてモンテッソーリ教育が「本物」を大切にする意義についてお話します。
モンテッソーリ教育ではどんな「本物」に触れられる?
「本物」に触れることを大切にするモンテッソーリ教育。本物を模して安全に作られた「子ども向け」のものではなく、大人が使うものと同じ道具を使ってお仕事をします。「本物」は慎重な取り扱いが必要なもの。始めるタイミングは子どもの発達段階や興味・敏感期に応じて、最適な時期を見極め無理なくスタートします。
では、モンテッソーリのお仕事では、具体的にどんな「本物」に触れるのか見ていきましょう。
モンテッソーリ教育で使う「本物」の代表例
◆針・刃物
縫いさしの針をはじめ、糸や紙を切るハサミ、名札の安全ピンなど、「本物」は、正しい使い方をしないとケガをします。逆に、手指をコントロールして上手に使えれば、本物だからこその便利な使い方ができます。また、ハサミの使い方・切る角度を想像してもわかるように、正しい使い方をすることで「道具が応えてくれる」かのように本来の力を発揮し、1番効率よく、かつ仕上がりよく使えます。本物の道具を使ってお仕事をするからこそ適切な使い方が身につきやすく、他のことにも応用できる手指のコントロール力がすくすく育ちます。
食育とも関係する包丁・ピーラーを使ったお仕事など、刃物を使うこともあります。これだけでも、モンテッソーリ教育が「日常生活の練習」を重視していることがよくわかり、スキルを身につけるためには本物を使うのが最適と考えられていることが伝わると思います。

◆トング
大人にはあまり危なく感じないもの、例えばトングなども、子どもにとってはしっかりつかむのはなかなか難しく力がいり、うまくつかめないと痛かったり危なかったりします。先端のギザギザも突くと危ないため慎重に扱う必要があります。
モンテッソーリのお仕事では、角砂糖をつまむ程度のサイズのトングを中心に、さまざまなものをトングでつかんで移動するお仕事がたくさんあります。つかむものを平たいもの、球状のもの、柔らかいもの、滑りやすいものにすると難しくなるなど、奥が深いお仕事です。また、食事の盛り付けやパン屋さんで買うパンをトレイに乗せる時など、そのまま実生活に活かしやすいお仕事でもあります。
◆ガラス・陶器の器
日々使う食器はもちろん、あけうつしの器やお仕事に使う教具置きなどにもガラスや陶器の器が使われます。わが子の園では昼食時のコップなども陶器のものを使っています。もちろん、本物ですから落とせば壊れますし、不注意で、またはやむを得ず、実際に壊れることがあります。小さな頃から器が落ちないよう丁寧に扱う所作を自然に身につけられるのも「本物」を使えばこそです。

本物だからこそ味わえる「体験」
本物を使うのは道具を使う技術を習得するためだけでなく、触って感じる質感や重み・使い心地など「本物の良さ」を体感する経験をするという面でも大切で、その体験の積み重ねが心を豊かに育ててくれます。
本物を味わう体験は、道具を使う時だけではありません。例えば音楽やお芝居など、大人も楽しめる良質のものに触れることも、本物を体感する貴重な経験です。
わが子のモンテッソーリ園では、お仕事以外にも行事などを通して「本物に触れる」ことを重視しており、例えば音楽ホールで本格的な楽器を使った合奏をしたり、劇発表では舞台照明や衣装・音楽・小道具大道具などが充実した環境で演じたりします。良質な本物に触れ、活かすことで、子どもたちにとってのチャレンジが「本格的な晴れ舞台」として実を結びます。やはり、本格的なホールでの舞台発表はかなり印象に残るようで、卒園後10年たった娘も鮮明に覚えているようです。「やり遂げた経験」と「良質さを体感する経験」とが結びつき、大きな達成感や自信を感じられ、行事経験を重ねるごとにぐんと成長する姿が見られます。
行事を「子どものお楽しみ会」としてだけではなく「本格的なチャレンジができる機会」と位置付けている姿勢は、わが子がモンテッソーリ園に通って良かったと感じる重要なポイントのひとつです。
「本物」に触れる教育で子どもは何を感じる?
ここまでのお話をまとめると、モンテッソーリ教育を通して子どもが「本物」に触れる経験をするなかで、3つの意義がありました。
・大人と同じ本物の道具を使ってお仕事することで適切な使い方を身につける
・本物や本格的なものがもたらす良質さを体感できる
・本物を活用することで成功体験がより良質なものになり今後の生活で応用できる
では、本物に触れる機会を与えられることを子ども側はどのように感じているのでしょうか。子どもの様子、そして自分が子どもだった頃どのように感じていたか、子どもの視点に立って改めて考えてみました。
大人と対等に尊重されている感覚が自信を育む
大人が使うものと同じ「本物」に触れる機会を与えられた子どもたちを見ていると、子どもが1人の人間として「大人と対等に尊重されている」と感じているのだなと伝わってくることがよくあります。その背景には、大人と同じ道具を使う難しさを克服し上手に使えるようになってついた自信、つまり「大人と同じようにできるよ!すごいでしょ!」と感じ、おうちの方など誰かに伝えたくなる誇らしさ・嬉しさがあるなと感じます。子ども用のもので成功した時ももちろん嬉しいものですが、大人と同じことができるのはまた格別の嬉しさがあるものです。
さらに、使い方によっては危ない本物を使う機会を与えられることは、難易度が高い本物を使える能力があると判断されているという感覚があるようです。その感覚はシンプルに「大人と対等」という自信につながっているように感じます。
本物を使う機会を与えられることで、1人の人間として尊重されていると感じ、自らできる力がどんどん身についていくことで、自己肯定感が高まり、自信が生まれます。
わが子やおともだちと話していると「もうこんなことができるんだよ・チャレンジしているんだよ」という話をよく聞きます。胸を張って話してくれるその姿に、あぁこういう感覚って大事で、「できた!」という経験のなかから好きなこと・得意なことを見つけていくのだなと感じます。
上質なものは大人が思うより子どもに伝わっている
私は年中まで保育園・年長に幼稚園に通いましたが、特に鮮明に甦ってくる記憶がいくつかあります。それは、音楽に精通する保育園の先生の素晴らしいピアノ(特に「乙女の祈り」)と、絵画に精通する幼稚園の先生が描いてくれた生徒1人1人の似顔絵デッサンです。何十年も前なのにびっくりするほど音質や絵を鮮明に覚えていて、今になってもあの先生方はやっぱりすごかったんだなと思います(幼稚園の先生とは今も連絡を取っています!)。と同時に、どんなに子どもでも上質のものは伝わっているのだなと実感します。
逆に保育園時代、今風に言うと「萎えた」エピソードもあります。お遊戯会の劇「ピーターパン」を園の教室で行い、ウェンディ役をしました。「海賊フック船長の子分にならなければ海賊船の板の橋から恐ろしい海に飛び込む」という緊迫のシーン。その「甲板に渡した板」は、雑に畳まれただけの、「りんご」と書かれたダンボールが教室の床に無造作に置かれただけだったのです。どこまで船か海かもわからない状態で「このダンボールの板の橋を怖そうに渡って」と言われて、う〜ん、こんなに雑な感じだとやりにくいしうまく伝わらないんじゃ…と、5歳ながらに思った記憶があります。
今思えば「子どもの劇だからこんな感じで」という、ちょっとした子ども扱いの雰囲気が残念だったのだと思いますし(もちろん当時の先生方も頑張って準備してくださっていて、感謝もしています!)、それが今の年齢になっても何となく心に残っていることに自分も驚いています。子どもはこういう何気ないところで違和感を抱いて、大人側も気づいていなかったり忘れたりしていることが心に残り続けるって、あるんでしょうね…
と、少し話は膨らんでしまいましたが、子どもに本物・上質なものの良さが伝わると同時に、「子どもだから」は見抜かれている、しかも尊重されていないように感じることもあると思うのです。
「本物」だからこそ経験できる失敗と向上
「本物」に触れる教育は、子どもたちが自らできる力を育みながら、本物の良質さを感じて心豊かな成長を促す、そして同時に「大人と対等な1人の人間として大切にされている」「大人と同じようにできるようになった」という喜びや自信にもつながっています。
一方で、もちろん「本物だからこそ体験する失敗」もあります。
わが息子のエピソードなのですが、園で先生を手伝って陶器のコップを洗うことがありました。一生懸命洗っていたのですが、洗剤で手が滑り、コップを落として割ってしまいました。食器が割れるのを間近で見た経験は初めてで、しかも自分が落としてしまったことで壊れて戻らなくなったことに大きなショックを受け、大泣きしてしまったようです。
割った食器の片付けも子どもが先生の見守りのもとで一緒に行いました。危なくないように片付け、新聞で包んで捨てるところまで自分でやりました。
「コップさんごめんね、ありがとう、また生まれ変わってきてね」と話しながら、号泣してさよならしました。
割れてしまったことは残念でしたが、このコップは息子の心にずっと残る大切なことを教えてくれたと思います。いい加減に扱っても落として割れるけれど、大切に扱っていても割れることがある。やむを得ないこともあるけれど、どうしたら出来るだけ壊さないで上手にできるのか…そんな「これから」に活かせる大切なことを教えてくれたのだと思います。
そして同時に、本物に触れる教育は、声で「危ないよ!」と伝えるだけでなく、安全な見守りのもとで「危ないこと」「壊れること」を実際に見て知ると言う意味でも大変意義があることだと感じます。
まとめ
今回は、「モンテッソーリ教育が本物を大切にする意義」をテーマに、お話してきましたが、いかがだったでしょうか。
ちなみに、ひとつ大切なこと…「子ども用からのステップアップはアリ!」と私は思っていて、自宅で本物が小さな頃から使えるようにちょっとムリして頑張る必要は全くないと考えています。特に、年下のきょうだいがいたり、忙しくて見守りに徹するのが難しい環境だったりする場合は尚更です。こんな時こそ、たくさんの子どもの成功・失敗を見てできるように支えてきたモンテッソーリ園やモンテッソーリ教室の先生といった「観察のプロ」の力を借りましょう。整えられた環境で専門家のもとでお仕事デビューをして、子どもが少し慣れてきたタイミングで家でもやってみるのも良策です。もちろん、ご自宅で行う場合にも、親子がお互い心穏やかに取り組むためにも、発達段階と興味に応じた無理のない進め方が何よりも大切です。
「本物」を使うからこそ実生活に活かせるスキルが身につきやすく、本物の良さもわかる。そして、子どもにとって嬉しい「大人みたい」が自信を育む。
その大切な成長の機会を奪わないように、年齢などで一律に「まだ早い」と判断することなく、子どもをよく見てベストタイミングでチャレンジさせてあげられたら、親子で嬉しい「できた!」の思い出が増えるかもしれません。